「おじさんって 普段 何してるんですか?」に対する 参考にならない回答集。
思うところが いろいろ ありまして 迷走気味の10月でした。
名古屋市 熱田区 熱田神宮に行きました
愛知県 名古屋市 熱田区にある 熱田神宮(あつたじんぐう)に行きました。
名鉄 名古屋本線と 常滑線(とこなめせん)の 分岐駅になる神宮前駅で 電車を降りると、熱田神宮側にあったはずの 駅ビルの 解体工事が行われていました。
神宮前駅の南東側に残る 古い商店街?は 数年前と同じような雰囲気に つつまれていました。
大学を卒業後 名古屋にある とある会社に就職し、身体も心も イイ感じに ヤラレテしまっていたあの頃、熱田神宮の森を 気分転換に ウロウロと散歩した記憶が 生暖かく ヌッと よみがえります。
あれから5年?6年?くらい経ちまして、当時の気持ちを成仏?(神道の場合 神の子孫が人間という設定なので どういう概念?)させようと思い、当時 住んでいた街を ウロウロと歩きました。
わりと大きな会社に入って、同世代が結婚していく流れにのって なんとなく結婚し、気がつけば 自然に家族が増えて という、一般的で 普通の人ならば それが当然で かつ あるべき道で そして とても理想的に思えるような。
そんな人生のレールに 気づかずに乗っていた自分に なぜか疑問を感じてしまい、だけど そのレールから転線することに とてつもない不安と 嫌悪感を感じ、あーでもない こーでもないと 迷っていた時期がありました。
あの頃よりも クリアな脳みそで 今になって改めて 振り返れば、若者によくありがちな 悩みのひとつと 大まかに分類することができるくらい ちっぽけで簡単な悩みなのですが、当時の僕には なかなか決断することができない 大きな分岐でした。
われらが井上陽水先生は 人生が二度あれば という曲を作っています。解釈は 人それぞれに ありますが、僕は たぶん、その歌の中の 二度目の方の人生を 選択したことになります。
(ここで 申し訳ないと考えるべきなのか、考えないべきなのか、僕の中で答えは でていますが、賛成してくれない人も 多く存在するのが 現実です。)
あの頃 会社をサボったときに お世話になっていた喫茶店に お昼を食べに行きました。店主は相変わらず 元気にキッチンに立っていました。
名古屋にいたころの会社の先輩で、勝手に師匠と思い あがめ 尊敬している人に会い、いろいろとお話を聞いてもらいました。
先輩は、考えを進めるときに 絶対に必要となるもの(言葉の使い方の基本)を 教えてくれました。
また、ヨレヨレに病んでいた僕を いつも心配してくれた 会社の同期に会い、再び 同じ空気を吸うことができました。
彼は、どんなに理詰めで考えぬいた言葉でも 無垢の感情には 打ち勝つことはできない ということを 教えてくれました。
ありがとうございます。もっとがんばろうと あらためて思い直しました。
定点観察 平塚新港編
10月は ほとんど運動が できませんでした。
反省。
熱海に行きました
静岡県 熱海市に 安藤くんと 加藤くんと 温泉につかりに? というか グダグダ話しながらの 車の運転を楽しみました。
商店街のはずれにある定食屋さんで ご飯を食べました。また行きましょう。誘ってください。
山梨県 甲斐市 玉川温泉
山梨県は甲府盆地 甲斐市(かいし)にある 玉川温泉(たまがわおんせん)に 行きました。ふたたびの履修です。
早朝の 圏央道 中央道を抜けて 約1時間30分で 到着です。
軽自動車での 高速道路の長距離移動は どんなものなのか 確かめてみたくて、約120キロの距離を 運転してみました。
メーター読みで 時速80キロから90キロの とことこペースならば、まぁまぁ快適だし 燃費も悪くないかと 思います。
川崎大師 神奈川県 川崎市
大学生の 研究室の仲間たちと 川崎大師に行きました。
大師とは 弘法大師(こうぼうだいし) すなわち 空海のことです。
第二次世界大戦の戦禍により 焼けてしまった本堂は 1964年(昭和39年)に 建て直されたものだそうです。
富士山に雪が
10月の後半、神奈川県でも とても冷たい雨が降った日がありました。
その翌日、富士山は 白くなっていました。
10月は どう考えても運動不足だったので、海を見に行きました。
また 別の日。富士山の雪解けが進み、白い部分が少なくなっています。
相模川の平塚側、国道1号線を渡ったところにある 赤い屋根の塔が特徴的なマンション。
秋分の日から 1か月以上が経ち、日の出が遅くなりました。
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